銚子市立総合病院問題についての見解
銚子市立総合病院の問題
市立病院は、市民の「命と健康を守る」地域医療の中核病院ということで私の公約に掲げました。公立病院は、救急医療、精神神経科等のいわゆる「不採算部門」を担わなければなりません。また、開業医の経営を圧迫しないための手かせ、足かせがあります。このような厳しい状況の中でスタートしてから実質上の黒字になったことは一度もありません。総合病院となった約24年前の1984年から現在まで、総額約230億円の支援を行ってきたことも事実であります。私が市長に就任した2年前の平成18年度には、就任約3か月後には、9億円の支援のほかに、7億円の追加支援を行うという非常事態となりました。この支援は、市の会計では用意ができず、「水道事業会計」から貸付を行うという形で支援しました。
このお金は水道事業という特別のお金であったために、「背任行為にあたる」という指摘も受けましたが、議会を説得し協力を得て、1度目の危機を逃れることができました。昨年度は9億円の補助金のほかに、6億円の追加支援をしました。これは市の貯金にあたる財政調整基金から絞り出し、2度目の危機を凌ぎました。この時、病院の経営陣に対し、このままでは市民に申し開きができないということで、「経営健全化計画」を提出してもらいました。この計画は、甘い見通しの計画で、市の執行部と病院事務局との厳しいやり取りの末に、もうこれ以上支援はできないという基本方針のもと、作られた計画でした。今年の3月には病院長は過労で辞職しました。懸命に病院長の引止めをしましたが翻意していただくことは叶いませんでした。その後は、院長の後任をお世話になっている病院、近隣の病院を中心に方々あたり、懸命に走り回り探しましたが、見つかりませんでした。このような期間が4か月続き、私も市のひっ迫した財政状況の中で、何とか病院を存続できないか、改革できないかと腐心し議論を重ね、千葉県とも相談しましたが、これ以上、病院を存続するための市からの財政支援は物理的にも不可能ということで、9月に休止という非常に辛い決断をいたしました。
私が大切にしてきたこと
銚子市立総合病院を休止するにあたって、職員を退職させるということは本当に辛いことでした。職員の中には、私のかつての教え子、そのご両親、親戚、知人の方などたくさん勤めておられます。家族を養い、教育費や住宅ローンなども抱えている人などたくさんおります。
私は、職員の将来の生活設計に重大な影響を与えざるを得ないと考える時、そして、入院されている患者の方々を思うとき申し訳なさがいっぱいで夜中に何度も目が覚めました。人知れず涙がこぼれてきた時もあります。それでも、私は行政のトップですから耐えなければなりません。
他の公立病院の経営者は私を責めます。しかし、民間の医療法人の経営者は、良く決断されたと評価してくれました。自分たちは苦労して乗り切ってきている。公立病院は甘いと。また、全国の市長からは「次の選挙は駄目だね。住民から反対されるから。」と言われました。「私は結構です。」と申し上げました。トップとして必要なことは、まちを救うことです。銚子という小さいまちですが、将来のことを考え、この苦渋の選択をせざるを得ない。このような決断をしたのです。
そして、マスコミで言葉が躍った「医療難民」ですが、銚子の場合は出ておりません。市内の病院も懸命に頑張ってくれておりますし、旭中央病院、鹿島労災病院など市外の病院にも救急患者を受け入れていただき、感謝しております。銚子には医療体制を支える受け皿もあったのです。
これらのことを考える時、物事は一端の見方だけでとらえてはいけない。市長は都市経営者として総合的に判断せざるを得ません。病院の方々は病院の経営だけを考えて当然ですが、私はそのような訳にはいきません。皆さん、これ程話題になった銚子市立総合病院が市民の何%利用されていると思いますか?国保のデータですが、休止前は市民全体の7.5%の利用率にとどまっています。そのような中で、私たちは2年間の累積で約30億円もの赤字補填をしてきたのです。
「医師がいて」、「市にお金があって」、「病院経営が改善できていれば」、病院がなくなることはありません。ところが、「医師がいなくなった」、「市には支援すべきお金がない」、「病院は公立病院特有の公務員体質で経営改善が思うようにできない」、このような状態で市が支え続けていては、市の経営すら危険が及ぶと判断し、苦渋の決断をしたのです。一部の市民からは、「市はつぶれてもいいから病院を支援しろ。」と言われてきました。デモも行われました。市長を引きずり降ろそうという政争の具にされてしまったのです。これが一番悪いことです。私が、医師がおり市にお金があるにもかかわらず病院をなくす方向で考えていたら、公約違反と言われても仕方がないことですが、今の状況は、「公約の中断」であると私は考えています。
日蓮は蒙古襲来の危機があった鎌倉時代、幕府要人、他宗の僧侶に対し、「世を救おうと思う者はあらゆる迫害に耐えよ」と説きました。また、「地域や家族も大切だが、もっとも大切なのは国家である。国を護る。これは最高の道徳律である。」と教えました。私も今、このような意識が必要であり、間違った集団には負けてはならないと考えます。銚子の意識革命の時期だと考えているのです。









