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大局を見れない小人の駄々っ子

平成22年3月 岡野俊昭

  

日本のメディアの多くは、米国の「核兵器」が日本の領海や港に「ひそかに」持ち込まれていたことを「けしからん」と論じているが、その「ひそかに」持ち込まれた「核」によって日本は「ひそかに」守られてきたことを忘れてはなるまい。

  

当時の冷戦下の世界で、米国は、ソ連の脅威に対応して抑止効果を発揮させるための「核」を日本の領海に持ち込む必要があったである。

  

日本のメディアや進歩的文化人は、真実の真偽と言うものを直視する眼鏡を持ち合わせてはいないようだ。赤みがかったサングラスで物事を視して、自分たちだけが平和を希求する精神を持った民衆の味方である、が如くに論じている。

  

彼らの主張は、平和を維持するための武器の備えは不必要であるという。また、国境も国土もいらない(鳩山首相発言、日本は日本人だけのものではない)と言う理念を持っている。このような考え方は厳しい国際情勢の中では通用しない論理である。また、発言すればリーダ―としての資質や人格を問われる。

  

視点を変え、もし、私たちの身近な生活空間に、凶悪な犯罪者が武器を所持して財産や女性を物色する状況にあったならば、彼らはどのような解決策を出すであろうか ? 自分達は平和主義者だから、「家に鍵を掛けずに」「警察力も必要とせずに」生活をすると宣言をして実行するであろうか ? きっと「警察は何をしているのだ」「政府は強い方針を早急に出せ」と迫ることであろう。

  

一方、私たち日本の周辺国を見ると、自国民を国家主義による教育をして、住民を恣意的なイデオロギー政策によりコントロールして、領土や埋蔵資源を国際ルール無視の形で主張し、実効支配をしている国が存在している。そういう事実を認識してから、考え、論じて行かなければならない。

 

一国の平和の維持は、軍事バランスと外交努力により成り立っている。つまり、軍事力により国の平和が保たれ個人の命と財産が守られているというわけである。

「命の維持」と「文化的生活」に欠かせない「電気エネルギー」と「水」の恩恵に甘んじている人間が、安易に「ダム建設反対」「発電所建設反対」をすべきではない、と、主張する民衆と同列なのである。

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