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日本人のアイデンティティーと教育の在り方

「日本人のアイデンティティーと教育の在り方」について

バルセロナ日本人学校 校長 岡野俊昭(現銚子市長) スペイン バルセロナカタルーニャ自治大学講演より【通訳:鈴木重子教授】

【日本文化の源】

今日の日本経済を見た時、55年前に敗戦し日本は焦土と化し、その日の食料にも困っていたことを考えると、不景気とはいえ、街には生活物資が豊富に出回っており、約50年前の生活レベルから見ると隔世の感があります。

 

しかしながら、私たち日本人は、あの痛ましい第二次世界大戦において、多くの国々のかけがいのない命と貴重な文化遺産を失わせたことに対して、心の底より深く反省しなければなりません。私は、二度と戦争を起こしてはならないと思っています。また、日本国憲法では戦争の放棄を謳っており、これは世界中の国で日本だけであり、私はこの平和憲法を誇りに思っています。皆さんがよくご存知のとおり、日本は広島と長崎に原爆を投下され、世界で唯一の被爆国です。そういう意味合いからしても、日本は平和を厳守し、間違っても戦争の原因をつくるようなことをしてはならないと考えます。

さて、今日、ここには中国と韓国の留学生や教授の方々も聴講してくれておりますので、私たちが誇りに思っている今日の日本文化が、いかに中国や韓国の影響を多く受けてきたのかを簡単にお話ししてみたいと思います。

 

紀元前500年頃、日本は各地に小さなムラが点在していました。紀元前300年頃、大陸から水稲耕作と金属器が伝わって、紀元1世紀後半には小国がまとまり、中国と交流を始めました。この頃の日本は100あまりの国に別れており、300年頃、古墳・鏡・玉・埴輪が作られるようになりました。400年頃には大陸文化が伝来し、漢字や儒教、そして、さまざまな進んだ知識や技術が入ってきました。538年、百済から仏像や経典が伝わり、593年には聖徳太子が推古天皇の摂政となって遣隋使を派遣し、仏教など大陸文化を積極的に取り入れました。また、645年の「大化の改新」、701年の「大宝律令」の制定など、大陸文化は日本の政治・経済・文化に多くの影響を与えました。

中でも、唐国の高僧であった鑑真和上が、日本に正しい仏教の戒律を授けるために5度の渡日失敗にもめげず、6度目に失明しながらも、やっと渡日を果たしたという話は有名です。和上は、日本の僧侶・医師・薬師・仏師・絵師・建築師などを育てるとともに、中国から多くの経典(儀軌)・教具・仏像・仏画を持ち込み、奈良の都に唐招提寺を建立しました。和上は、仏教の普及のみならず、今日の日本人の生き方そのものにまで多くの影響を与え続けていると私は思います。

漢字の普及が果たした役割は計り知れないものがあります。ご存知のように日本と中国と韓国は異なる言葉を話しますが、漢字を書けば大体の意味が理解されます。漢字には「文字」そのものに意味があるからです。中国でスポーツ交流をした時、選手達は漢字で意思の疎通を図っていました。動物園や街の案内も少し理解することができました。ただ、困ったことが少しありました。それは中国の漢字が簡体字になってしまったことです。韓国も、ハングルで書かれた場合はまったく理解できません。このようなことから、中国で生まれた漢字が国際文化交流に果たした役割はたいへん大きなものがあると実感させられます。

 

今でも日本で使われていることわざには中国から来たものが多くあります。また、奈良時代には「明日香村の檜隈(ひのくま)」地区の人口の90%を渡来人が占めて活躍していたそうです。彼らは、古代の日本の政治・経済・文化に大きな影響を与えてくれていました。その頃の日本の指導者は、外国からのすぐれたものを広く受け入れる寛容の精神とスケールの大きさがあったのだと思います。

【日本文化の熟成】

当時は、多くの留学生や僧侶が競って大陸へ渡り、勉強していたようです。 そのころの日本人は、大陸から入ってきた様々な文化を積極的に取り入れ、それを日本的なものへと昇華・発展させ、「万葉集」・「古今和歌集」・「枕草子」・「源氏物語」が書き綴られるようになってきました。「万葉集」や「古今和歌集」の編纂は男性ですが、「枕草子」は清少納言という女性ですし、世界で最初に書かれた小説である「源氏物語」の作者、紫式部も女性です。驚くことに1000年も前のことです。

また、女性文学者の出現の過程には、中国文字である漢字をわかりやすくするため、僧侶たちが考え出した「カタカナ」や、おんな文字として作り出された「ひらがな」の創出が大きく影響しています。「カタカナ」や「ひらがな」の出現によって、女性から子どもまで、広く文学や歴史にふれることができるようになり、それまでの貴族や僧侶のための教育が、室町時代に生まれ江戸時代に盛んになった「寺子屋」の原型のようなものができ始め、庶民にも教育のチャンスが生まれてきました。

 

「寺子屋」の指導者は主に庶民、武士、僧侶、医師、神官などがあたり、「読み」・「書き」・「そろばん」を中心とした世俗的な教育であったといわれています。

一方、貴族や武士、僧侶の間では、「能」・「茶の湯」・「生け花」が盛んになっていました。「歌舞伎」・「狂言」という世界に例のない芸術が生まれ、「絵画」・「彫刻」の世界にも日本独特のものが現れてきました。「和歌」・「短歌」・「俳句」にいたっては、外国の方々には説明することがむずかしいものがあります。ものの「あはれ」や「わび」・「さび」といったことにまでなると、日本人でも、その「こころ」を理解することは並大抵ではありません。

このように、日本独特の芸術や文化が長い年月を経て熟成されてきているといえます。1854年に開国を宣言するまでの日本は、250年以上も鎖国し外国と国交がなかったわけですが、皮肉にも、それが日本文化の「個性化」に重要な役割を果たしてしまうわけですから、歴史とは面白いものです。

【明治の教育】

わが国では、1868年1月に王政復古の宣言をして、それまで実権を握っていた徳川幕府から明治新政府へと体制の大変革を遂げました。1872年には学制を発布し、これにより、それまでの侍の子は「藩校」、庶民の子は「寺子屋」へという身分による教育システムを改めました。

ときの明治政府には、各藩出身の若くて優秀なリーダーが「富国強兵」の政策を唱えていました。それは当時、東南アジアの国々が欧米諸国の植民地下におかれている現状を見て、国力の高揚なくしては欧米列強の進出を防ぐことはできないという考えからでした。資源が少なく貧しかった日本を、経済的に発展させ、欧米の先進国に「追いつき」「追い越す」ことを目指して、教育を最優先させたわけです。理科や数学は特別に重要視されました。そして、先進国に多くの将来有望な人材を、視察や留学というかたちで送り出しました。明治政府は、驚くことに1871年に官費女子留学生をアメリカに派遣しています。この中には津田梅子など6・7歳の女性も数人、含まれていました。津田梅子は、その後再度アメリカ留学をし、現在の津田塾大学の前身である女子英学塾を興しています。そのことを考えると明治政府も偉かったが、それを薦める親、納得して留学する幼い女性たちは、本当に立派であったと思います。

また、政府は、北アメリカやヨーロッパから優れた指導者を招き、各方面での人材育成にも取り組みました。まだ貧しかった日本が、大金を投資して先進国から指導者を招聘し、今日の日本の基礎を築いた明治時代の指導者は、たいへん偉大であったと思います。

しかし、悲しいことに次第に国力をつけてきた日本は、より多くの資源を求め、大陸へと進出するようになり、「日清戦争」・「日露戦争」そして「太平洋戦争」と戦争への道を進んでしまいました。そして、1945年8月15日、近代日本は、歴史上初めての「敗戦」を経験しました。それでは、敗戦のショックから日本がどのようにして立ち上がってきたのかをお話ししたいと思います。

【敗戦後の教育】

敗戦後の日本の教育理念は、個人の能力、適性、意欲等に応じて、平等に教育の機会が保障されるべきであるという「教育の機会均等」を基本としてスタートしました。そして、わが国は、奇跡とも呼ばれるほどの「復興」・「発展」を成し遂げました。そこには、焦土と化した国土の回復と食糧難からの脱出、経済の立て直しのための産業の確立、科学技術の振興のための教育等々、並々ならぬ努力があったのですが、その一方では、「自由」・「平等」・「個性尊重」・「画一性の排除」を謳った教育を唱え、「民主主義」の確立を目指しましたが、平等化の側面ばかりが強調され、かえって「画一化」を招いてしまう結果をもたらしました。  敗戦のショックから精神的支柱を失った日本の指導者の多くは、日本の誇るべき「伝統文化の否定」という大きな過ちを犯しました。国民の勤勉さと教育の成果として世界のGNPの10%以上をも占める経済大国とはなりましたが、その反動として「学歴社会」を生み、学校不適応―非行―暴力―いじめ―自殺―わがまま等、子どもや青少年の間に多くの弊害が見られるようになってきました。

また、個人の経済的成功のみを追及する風潮が生まれ、若者の多くは学業や仕事に対する意欲や人間として大切な「礼節」を欠くという、日本人が本来もっていた美徳も失われつつあります。

そこで日本では文部科学省が中心となって、「戦前の教育の良さ」を取り戻し、「日本の伝統文化を踏まえた新しい文化の創造」を求めるべく「第3」の教育改革を推し進めているところです。新しい教育改革では家庭、学校、地域社会の役割を明確にし、「ゆとり」ある教育環境のなかで「国際性豊かなたくましい日本人の育成」を目指しています。

【日本の家庭教育】

次に、家庭教育の果たす役割について話したいと思います。

昔の日本では「躾(しつけ)」は家庭、「学業」は学校、父は「仕事」、母は「家事と育児」。そして、特に家長である父の存在が大きく、男性中心の社会でした。敗戦後は世の中の民主化によって「自由」「平等」などの考えが浸透し、経済の高度成長に伴い女性の社会進出も活発となってきました。学校や親たちの多くは経済的成功のみを追い求めて大学を選ぶという、子どもの「個性」や「生き方」を度外視した価値観をもちはじめる人が多くなりました。そのような社会の風潮が「受験戦争」を生み出すとともに、「偏差値」を過度に偏重する社会をつくってしまいました。それが子どもたちの「こころ」を蝕み、暴力、無気力、いじめ等の反社会的な行動として表出してきました。

子どもたちも、自分の夢や自己実現のために希望をもって学ぶという学習本来の姿を失った環境での生活を強いられるようになってしまいました。人間が本来、身につけていかなければならない精神的、肉体的、社会的な「発達課題」を獲得する環境や機会を失ってしまいました。家庭では、忙しい父母と少ない兄弟(姉妹)、祖父母との別居という家庭が多くなってきました。このような人間関係の希薄化は、愛情の充足感が得られず自己存在感の不安をもたらしました。一方、社会では、模範となる人との接触や集団の中での生活などの、「社会的生活体験」の不足を招きました。また、生活空間には、物が溢れるようになり、親にねだれば欲しい物は直ぐに手に入るようになってきました。昔は駄々をこねても親は買ってやれなかったし、買う能力の有る親でも「我慢」をさせました。「我慢」の教育や人間が生活する上で必要とされる基本的生活習慣は、親が責任をもって教育しなければならないと思います。子どもは親の行動様式をみて、それを良かれとして成長するのですから、親の責任は重大です。犬でさえ、小さいときの躾を誤ると凶暴になり、人に噛みついたり喧嘩したりします。そこで、子犬のときに調教が行われるわけです。良くできたら誉めてやり、悪かったら叱り、愛情をかけてやります。そうすると人に愛される役にたつ犬になります。幼児期の教育という観点からすると、動物も人間もあまり変わりありません。しかし、人間には「読み」・「書き」・「計算」と「創造的物作り」・「芸術活動」・「哲学」等、他の動物たちには真似のできない高度な文化的能力があり、学ぶことがたくさんありますから、「幼児教育」や人間として生きて行く上で必要とされる基礎的、基本的なことがらを「家庭教育」・「学校教育」・「社会教育」の柱とするのは、至極当然のことです。型にはめる教育は一方的にダメだという人がいますが、「正しい型」にはめ、基礎・基本を確立させることはたいせつなことです。基礎工事をしっかりさせ、「土台」を築き、強くて長持ちする「骨組み」がなければ、美しい高層建築は成り立たないことはいうまでもありません。正しい型ができて初めて「創造性」や「可能性」が生まれてくるのだと思います。

それは、この国スペインの誇るピカソの例を見れば証明されます。ご存知のように、ピカソの父親は画家であり、デッサンの先生でした。彼は息子の能力を認識しながら、画家としての基礎的なものを確実に習得できるようにしたといわれています。どのくらいのレベルであったかを、バルセロナに住んでいる皆様方にお話するのは失礼かと存じますが、ピカソが5歳から9歳のころの鳩のスケッチや16歳のとき描いた「科学と慈愛」を見れば明らかです。驚くことに16歳にして一流画家と肩を並べる基礎技術を身につけていました。少年期のピカソは、父親から職人のように基礎技術を学ばされたようです。いきなり「青の時代」や「キュウビズム」が訪れたわけではなかったわけです。

ピカソほどの天才にしてそうですから、私たち凡人には、なおさら人間として生きていく上で大切な「基礎・基本」の教育はなくてはならないものであります。

【教育のタイミングと目的】

これは、教育の「タイミングとその目的」が、いかに大切かを物語っています。

このことを「刷り込み現象」として研究発表し、ノーベル賞を受賞した人がコンラート・ローレンツ博士です。この「刷り込み現象」とは、卵から孵ったばかりの雛鳥は、最初にみたものを親と思ってしまうという現象のことで、玩具の鳥をみた雛鳥は、玩具を親と思い込み、そのあとをずっと追いかけてしまうという不思議な行動を、科学的に証明したものです。

ローレンツ博士は、自分の姿をガンの雛鳥にみせて実験したため、ガンが巣立ちするまで親鳥として池に入って一緒に泳いだり、空を飛ぶ訓練をしたり、たいへんな苦労をなさったそうです。これは、人間であれば幼児期の教育の大切さに置き換えることができます。教育のタイミングを間違えると、たいへんなことになるということです。

教育のタイミングを逸した最も有名な例は、1920年にインドで発見された、「狼に育てられた子、カマラとアマラ」の例です。生まれてまもなく狼にさらわれ、母狼と一緒に7年間も洞穴の中で過ごし、8歳のときにシング牧師によって人間の世界に引きもどされました。7年間も狼と生活をしてきたため、8歳とはいえ、人間としての行動はまったく見られず、昼は壁に向かってうずくまり、夜は戸外を四足で這い回り、腐肉を好んで食べたということです。膝立ちして、物を自由につかむまで1年10ヶ月、一人で支えなしで立てるまでに2年8ヶ月、イエス、ノーを表すのに3年2ヶ月を要しました。さらに、恥じらいを示すのに6年2ヶ月、簡単な言葉を理解しながら、自由に話せるまでに9年の歳月を要しました。カマラは17歳で亡くなったのですが、彼女の獲得した言語と運動能力は2・3歳の幼児程度であったといわれています。

これは成長の法則にあるように、生後の5ヶ年間の生活環境の影響は、その後の全生涯に影響するものであるということを教えてくれました。教育のタイミングが如何に重要であるかを物語るものです。カマラとアマラの話は、幼児期の父母との正しいふれあいが、いかに大切であるかを私たちに示してくれていると思っています。つまり、人間としての教育を受けて、初めて人間になれるということです。

【戦後復興の理由】

敗戦後の日本が、大きな経済力を獲得できた理由に、「勤勉」さと「徳性」の高さがあげられます。

私たちが幼かったころには、日本各地の学校や教育施設に「二宮金次郎」という人の銅像が建てられていました。二宮金次郎は、苦学の末、没落した一家を再興し、その後、各地の復興に尽力した偉大な人物です。当時、彼の実践した「節約」・「勤勉」・「好学」を模範とした教育が奨励されました。私も子どものころ、薪を背負いながら読書している彼の銅像を「偉い人がいるものだなあ。」と、尊敬の目で見ていたことを覚えています。

このように、昔の日本には、生き方の指針となるべき教育施策に一貫性がありました。生きていく上での目的が、はっきりしていました。それが、今日まで連綿として受け継がれて、現在の経済発展へとつながったのだと思います。これは、「軍国主義」や「戦争」という事実を除けば、戦前の教育の素晴らしさの表れだと思っています。

また、「日本人は『礼儀正しく』、『組織力があり』、大災害の時には互いに『助け合い』、略奪や暴動を起こさないのはなぜか。日本人の多くは特定の宗教をもっていないというが、どのように『国民の教育』をしたのか。『道徳』はどのように教えているのか。」という質問をよくされるので、ここで私なりの考えをお話いたします。

西洋文化圏で生活する人間から見ると、日本人は宗教をもたない不思議な民族に見えるようですが、日本には、昔から大自然を敬うという習慣がありました。それは、太陽神であったり、火の神、水の神、山の神、森の神等、さまざまな「自然(もの)」に対してでした。

今でも、家を新築すれば神棚を作り、神に敬虔な祈りを奉げます。また、人が誕生すれば産土神へお参りしたり、農作物が収穫されると自然の神に感謝の念を表したりします。

6世紀中ごろ日本に入ってきた「仏教」は、貴族や僧侶、武士から庶民の中に自然と広がっていきました。

【日本人の躾や道徳】

一方、近世になって、武士の社会には侍としての行き方「武士道」という厳しい「規律」や「名誉」を重んじる「恥の文化」や、家族の生き方を示す「家訓」などが生まれました。侍は、戦(いくさ)の前に「短歌」を残し、潔く戦地に赴きました。そして、死に臨んでも慌てず、恥ずかしい振る舞いをしなかったといいます。武士は、死んだ後の自分の姿までを想定し、日々、鍛錬し続けていました。

このように、日本人は祖先や自然を敬い、礼儀正しく、勤勉でわきまえのある民族であったと思います。そして、これらのことが渾然一体となり、今日の日本人の「アイデンティティー」を形成してきているのだと考えます。ですから、日本人の「躾(しつけ)」や「道徳」というようなことは、誰かが作り出したものではなく、社会から自然と滲じみ出て定まったものではないかと思っています。

  【日本人のアイデンティティー】

私は、厳密にいうと日本人は無宗教ではないと考えています。なぜならば、宗教とは人間を超えた聖なるものの存在と意志を信じ、それによって人間生活の悩みを解決し、安心、幸福を得ようとする教えの総称......とあります。日本人は、人間を超えたところの大自然の神を崇拝し、自然と一体となった幸福を望んできました。この宇宙の中にある、小さな地球の万物との一体感、祖先への感謝の心のよりどころとしている日本人を、皆様方ヨーロッパで生活する人にわかりやすく説明するためには、日本人には、古来からの「神道」と「仏教」、そして「儒教」や「武士道」等といったものが融合した、いわば「日本教」といったものがあるといった方がいいかもしれません。このような環境の中で私たち日本人のアイデンティティーが確立されてきました。私は、日本の伝統文化や、日本人であることに誇りと自信をもっています。

【教育の在り方】

それでは、私はバルセロナ日本人学校の校長ですので、教育について少しお話をさせていただきます。

先ほど教育のタイミングについてお話させていただきましたが、そのなかで「人間としての教育を受けて、初めて人間になれる。」といいました。日本には「教えなければ禽獣に近し」といって、人間としての教育が無ければ動物に近いとか、「三つ子の魂百までも」ということばがあるように、幼児教育の重要性や母と子の人間的ふれあい、家族の愛情が人としての原点となることを教えています。

また、学校は学習環境を整え、「徳育」・「体育」・「知育」をバランス良く身につけさせ、子どもたちの「人格の形成」をめざしていかなければなりません。経済的な成功をある程度達成した今、人間が人間らしく生きていくために最も重要な「人と人との信頼関係」をたいせつにした教育を行い、「模倣」の世界から日本独自の新たな「創造」の世界を目指した新しい教育を実践していきたいと考えています。

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