今こそ江戸、明治に学ぶとき
日本の近代史を語るには、欧米諸国が四・五百年も前からアジア、アフリカを中心とした地域を植民地として統治し搾取するという長期間にわたる侵略の歴史を考慮に入れなければならない。それは、有色人種を白人よりも劣る者として扱い、資源と労働力を欲しいままにした身勝手で非人道的な歴史そのものでありました。そのような国際情勢に危機感を抱いた、日本の指導者は、近代化を急ぎ国力を増強することが、西欧列強から日本を護ることだと悟り、経済、教育に力を入れました。
また、明治維新から約三十六年後、国家の威信をかけて日露戦争を戦い、高い使命感と周到な計画を身に付けた人格と指揮能力を併せ持つ明治国家指導者の気概あふれる志で挑み、戦力において、はるかに優位のロシアと壮烈を極めた戦いをし、薄氷の上での奇跡の勝利を成し遂げて、日本はアジアで初の立憲君主国となりました。
この日露戦争における日本の勝利は、近代において有色人種が初めて白人社会である西欧列強による植民地支配の牙城の一角を切り崩すこととなりました。もしこの戦いに日本が負けていたら、ロシアの南下政策が強烈に推し進められ、日本はロシアと西欧諸国の植民地にされて白人による植民地化は完成されていたことでしょう。歴史学者の中には、「日露戦争は世界史の上で分水嶺となる戦いであった」と非常に高く評価する考えもあるほどであります。
明治の国家指導者や軍人は、国体の維持のために、常に危機感を持ち、あらゆる有事を想定した戦略を練り、効果的に任務を遂行するための指揮命令権を維持することに全精力をささげてきました。
このような人間として立派な生き方をして日本の近代化を成功させてきた人々を数多く輩出してきたその背景には庶民に対する学校というものがないことに驚きます。
江戸時代までの日本には、庶民のための学校というものはなく、それぞれの、地位や身分により学ぶ場所が異なっていました。武士教育の為の藩校や学問所、貴族や僧侶のための学問をする所、庶民には寺子屋といったものでした。
江戸時代の日本人は子供たちが一人前の人間としての知恵を身につけるには、自分の家族と地域が「しきたり」「おきて」といったものを伝統として教え、地域社会の構成員として認められるために必要な能力を、様々な通過儀礼を経ることで学ばせてきました。「ますらお」ぶり「たおやめ」ぶりや、社会の一員として「なすべきこと」「なさなければならぬこと」そして「なしていけないこと」「ならぬものはならないこと」といったことを身につけてさせてきました。
また、読み、書き、そろばん、といった人間として生きるために必要な基礎、基本を寺子屋で学んできました。このようにして江戸時代の日本人は世界最高レベルの識字率を獲得していました。









